×大森時生

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加藤拓也  大森時生
■フェティシズムとは何か──関心事である“不気味さ”や“気まずさ”の言語化と表現について

加藤:大森くんの作ってる番組や展示って変で面白いですよね。たとえば人間の“恐怖心”に着目して、それをフェチとして、展示作品が成立するレベルにまで掘り下げるとか。とくに来場者の臭いを数値化する「臭気に対する恐怖心」の展示はいやらしかった。大森くんが自分のフェチを自覚したのはどういうタイミングなんですか?

大森:大学時代に観た黒沢清監督や、濱口竜介監督の映画の影響が大きいですね。

加藤:詳しく聞きたいです。

大森:僕のことをホラーの文脈で語っていただくことが多いのですが、じつはそんなにしっかりとホラーは通ってないんですよね。興味があるのは、ホラーというよりも“不気味さ”や“気まずさ”です。たとえば、黒沢監督の映画の特徴である不在が生み出す不気味さとか、濱口監督の『PASSION』(2008年)に見られる会話の気まずさとか。別に何かが起こるわけではないけれど、観ているとどうにも不安になってくる。加藤さんの作る演劇も、気まずい会話が展開するシーンが多いですよね。気持ちがザワつくので、すごく好きです。

加藤:僕も不安になるものは好きです。でもたとえフェチを自覚できたとしても、それを言語化するのはまた別の難しさがある。ところがこれを大森くんは展示のレベルまでやっているわけですよね。

大森:テレビ番組のプロデューサーとして、『TXQ FICTION』というフェイクドキュメンタリーを作った経験が大きいですね。もともと自分の持っていたフェチというものが、番組を制作する過程で、他人に届けられるレベルにまでモディファイされた感覚があるんです。だから展示の段階では自分の中での改造がそれなりに済んでいた。多くの人々にリーチできるよう、打算的にアウトプットできたわけです。

加藤:広くフェチを共有するために改造するわけですね。

大森:フェチって本来、非常に個人的で私的なものじゃないですか。でもより多くの人に共感してもらうには、作り変える必要がある。ここ数年はこれをかなり自覚的にやってきました。そのいっぽうで、自分の本当のフェチが何なのか、ちょっと曖昧になってしまってもいるんです。僕自身のフェチはやっぱり、映像作品にありますから。

加藤:年齢を重ねることや、いろんな変遷を経て、フェチ自体の変化ってしませんか?

大森:以前は作品のギミックに関心がありました。たとえば、バラエティ番組だと思っていたらホラーだった、みたいな。この“ズラし”に面白さを感じていたんです。でもいまは、物語だったり、物事の運びによって恐怖を生み出したいという考えにシフトしつつあります。だからゲームマスター的に観客の感情を大胆に動かすよりも、映画のように時間をかけて恐怖心を植え付けることに関心があります。自分のフェチの原点に回帰したんです。


■“恐怖のテクスチャー”から“物語”への関心の移行

──観客とのフェチの文脈の共有がなされていなくても、“不気味さ”などは広がりやすいものですよね。このあたり、どう考えていますか?

大森:パッと見で不気味さを感じるようなテクスチャーのコンテンツって、広がりやすいんですよね。この手の恐怖って、誰もが等しく感じるものだから。人間が何に対して不安感を抱くのか、その文脈と構造さえ押さえておけば、意図的にバズらせることだってできる。ただ、ここ最近はそのあたりのことが、僕個人としてはどうでもよくなってきちゃっていて……。みんなが盛り上がってくれるのは嬉しいけど、そこに何か意味があるのか、疑問に思うようになってきたんです。もちろん、話題になることは次のチャンスにも繋がるだろうし、喜ばしいことですよ。でも、フェチを感じる構造を生み出すことが目的になってしまうのは違う。それだと、かつて僕が惹かれたフェチから離れていってしまう。だからいま改めて、物語を作りたいと思っているんです。

加藤:自分の好きなものを他人に共有しようというとき、好きなものを分解していく必要がありますよね。展示も番組も、演劇や映画を作るためにも、興味・関心事を分解して、組み立てていく作業をする。でもこうして自分の好きなものを冷静に分析や分解していく過程で、だんだんと好きじゃなくなっていく感覚ってありませんか。面白みを感じなくなってしまうというか。

大森:そう、まさに。ここからの数年はその問題に直面することになるんだろうなと思っています。いまの僕は、いわゆるホラー的なジャンルに囚われている感覚があって。意図的に“ズラし”を生み出したとしても、そのうち誰からも見向きされなくなるんじゃないかという怯えもある。これを僕は“30代の危機”と定義しています。

加藤:危機なんですかね。

大森:ありがたいことに20代のうちにいろいろとやらせてもらって、本当にたくさんのリアクションもいただきました。でもじゃあ、次は何を目指すべきなのか。これは30代に入ったばかりの僕の大きなテーマであり、同世代の人々の多くが抱えている問題じゃないかと思っています。

加藤:でも分かる気がしますね。僕自身もここ数年で好きなものは変わってきたと思うし、自分が面白いと感じているものがなぜ面白いのか、自分の言葉で説明できるようになった。なってしまった。できているつもりになっている。興味の対象を自分の言語のフレームに収められるようになったことで、分かったつもりになってしまっているというか。全部が分かることはきっとないんですが、知り過ぎてしまうというか。

大森:対象の構造を分析できたとたん、興味を失ってしまうような感覚ですか?

加藤:自分の頭で面白さを理解してしまっている感じ。脳が「面白い」と言っている感じというか。以前はもっと感覚的に面白さを感じられていたのに、いまは理屈で面白がっている、ということなのかな。対象に対する面白さの感じ方がまったく逆なんですよね。いまでも感覚的に面白いと感じることはあるんだけれど、感じられなかったときに頭で「面白い」を探しに行くというか。

大森:僕も展示に関してはその姿勢で作っている感覚がありました。つまり、脳で作っていた。これが悪いことだとは思いませんが、個人的には危機感をおぼえています。


■脳による創作について

──『行方不明展』はかなりギミックが効いていて、すごくうまくできている展示だと感じました。でもいまの大森くんが志向しているのは、もっと根源的な恐怖だということなんですよね?

大森:そうですね。繰り返しになりますが、展示は脳で作っている感覚が強くありました。どういう構成の作品にすれば、観客に恐怖を与えられるのか。つまり、どうやったらウケるのかということばかり考えていた。もしもこれを続けていくのならば、いまよりもっと大きなところを目指していかなければなりません。自らそっちのほうへ振り切っていく必要がある。脳で捉えて、脳で考えて、ひとつのムーブメントとなるようなものを脳で作る。でも果たしてそれでいいのだろうかという逡巡がある。

──それが“30代の危機”だと。

大森:脳ではなく、心や肌感覚で反応できるようなものを突き詰めていくことだってできるはず。これだと商業的な広がりは弱いかもしれませんが、大衆に支持されるものとはまた異なる価値を持つコンテンツが生まれるかもしれない。どちらに進んでいくべきか、悩ましいところなんです。

加藤:商業的な作り方のフォーマットって時代に合わせつつ、数字を見つつ、がっちり定まっていますよね。基本的な語り口以上の厳しいルールが存在していて、作っている最中に面白いと感じることより、「ここは何分でこうだからこう感じる人が多い」というデータ上での計算と、それを信じる脳が優先されている。そのフォーマットをきちんと組み込むことは、それはそれで大変ですが、はまったら広がりは強いですよね。ですが、良くも悪くも計算式に当てはめれば、誰が作ってもある程度のクオリティがあって、つまりもう誰が撮っても同じような作品になるということもありますよね。

大森:端的に言えば、資本主義に回収されてしまっているということでもありますよね。でもこれって、視点を変えればより多くの人を幸せにするのは、こちらだったりもするわけです。マクロな視点から見れば、その可能性はある。でも作り手の個人的なミクロな視点からすると、「これでよかったんだっけ?」という問いが生まれてくる。僕自身の中にあるのもこれなんです。脳で作るのか、それとも心で作るのか。いまの加藤さんは、この葛藤がありますか?

加藤:初期衝動以外に、執筆の筋肉のようなものがついてきて、それが色んな選択肢を可能にしてくれることで葛藤することはあります。

大森:あえて崩したりもしますか?

加藤:します。

──時間をかけて培ってきたものが、加藤さん自身の足枷にもなっていると。歯痒いですね。

大森:どうしても再生産してしまう恐怖も生まれてくる。いや、縮小再生産かな。

──再生産を繰り返していくことで、観客に飽きられる可能性も出てきませんか。それと同時に、作り手としてのフェチを見失ってしまいかねない。

加藤:フェチからはじまって、再生産しなければいけない環境というか、心境になってしまっている人がいるなら切ないですね。


■安全圏からの不安へのアクセス

──日常生活の中で生じる不安とはどう付き合っているんですか?

大森:コンテンツとしては大好きだけど、生活の中にあるのは嫌でしょうがないですね。たとえば、仕事で関わっている年上の男性に不機嫌な態度を取られたとする。しかもその理由は分からない。こういったときに生じる不安に対して、僕は過剰なくらい拒絶反応を示してしまいます。耐えられません。でもこれって、社会中に蔓延しているものでもありますよね。コンテンツとしてアウトソーシング的に得られる不安は大好物なんですけど。

──なるほどな。

大森:日常生活の話で言うと、節税をしている人たちって、なんだか楽しそうじゃないですか。あれはグレーゾーンでのハックですよ。

加藤:グレーゾーンの節税は脱税なのでは。

大森:かなりギリギリのラインでやっている人たちのことです。僕にとって不安を感じられるコンテンツって、これにかなり近いと思っていて。つまり、安全圏にいながら感じられる不安です。誰だって本物の不安は嫌。加藤さんの演劇も感覚としてはこれに近いと思うんですよね。

加藤:僕は納税してます。

大森:それだと語弊がありますが(笑)。でもいまこのラインにあるコンテンツが求められているのは事実だと思います。たとえば『国宝』なんかもその要素がある気がします。観客は絶対的に安全な劇場空間で、歌舞伎の世界に生きる人々の狂気に触れて興奮する。観客とコンテンツの関係性としては同じですよね。

──大森くんが作る番組って、フェイクであることを明示していますよね。これは視聴者の安全圏を確保するため?

大森:そうです。事前にフェイクだと明示する理由は、大きくふたつあります。ひとつは、目の前の物語が嘘だと分かっていないと、視聴者は物語を楽しむところまでいけないから。これは本当なのか嘘なのかということばかりが気になって、ちゃんと楽しめないんですよね。それからもうひとつは、フェイクだと明示したほうが、コンテンツから得られる不安の濃度は大きいだろうと思うんです。

加藤:フェイクだと明示したうえで、またその世界を本当かのように信じてもらわないといけないこともありますね。そのラインや手法はさまざまですが、安全圏という意味でいうと、どこで作品に触れるかということも大きく影響しますし。

──面白いですね。そうするとよりフェチが伝わりやすくなるわけだ。

■新作『景色のよい観光地』について

大森:僕からも加藤さんに聞いてみたいことがあります。加藤さんは演劇を作る際、どこから考えはじめるんですか?

加藤:今回の『景色のよい観光地』に関しては、あまり決め事は作らずにスタートしました。もちろん、設定や必要なことは考えてからスタートしましたが、執筆に課しているルールの変更というか逸脱を認めるというか。

大森:脳で作ることをやめ、手癖を封じたというわけですね。加藤さん自身のフェチを、ありのままの姿で提示しようとしているということでしょうか。そうした手法を久々に取ってみていかがでしたか?

加藤:フェチの塊を提示しているような作品ではありませんが、純粋に楽しめているのではないかと思います。書き終えた自分的には、この感覚を維持したまま、またルールを意識して次を書ければいいなと思っています。とくに映画には影響がありそうな気もしています。


──どういうことでしょう?

加藤:演劇の場合、いろんな人の力が合わさった結果として、ものすごい変更があるというか、そもそも上演する人によって立ち上がるものが違うという前提が戯曲にはあります。でも映画の場合は演劇よりもその幅が狭いというか、同じ台本で別の監督が何度も撮影するわけじゃないし。

大森:じゃあ創作のスタイルこそ違えど、加藤さん自身の心持ちとしてはあまり変わらないわけですね。

──しかも演劇だけでなく、映画でも通用すると。大森くんからすると、この手法はどうですか?

大森:僕のやり方は、いまの加藤さんの手法に近い気がしますね。一度本能的に出力したものを、理性で整えていく。ただ僕はプロデューサーなので、かなり計算します。

加藤:続けていると、整理整頓する筋肉もついてくるものですよね。

──大森くんは展示を作る際、どういう整理や計算をしていったんですか?

大森:モノを作ることに関しては不安神経症的なところがあるので、展示にしろ映像にしろ、スベりそうなポイントは徹底的に潰していきます。自分の中の懸念点を消していくんです。

──潰してしまったところこそ、面白いものとして受け取られる可能性もありそうな気がします。そうは考えませんか?

大森:ものすごくビビりなんですよ。だからといって、プロデューサーの立場から監督の考えをねじ伏せるようなことはもちろんしません。が、気になるポイントはすべて伝えます。

──でも本来のフェチズムって、どこか過剰的なところにこそ生まれそうな気もします。いかがでしょう?

大森:僕のフェチは逆ですね。余剰や過剰というものはない。これが監督たちの思うフェチとぶつかり合い、セッションが生まれたときに、歪なフェチだけが残される。これがコンテンツに反映されますし、集団での創作の面白さですね。

──少し話が変わりますが、大森くんはヴェイパーウェイヴを好んでいますよね。理屈では説明できない歪な面白さがある音楽のジャンルです。これはどういう理由からですか?

大森:ヴェイパーウェイヴはサンプリングとチョップド&スクリュードの文化の系譜に連なるもので、既製の楽曲を切り刻み、積み重ね、なおかつ歪ませている。僕にとってはそういう理解です。そしてこれは、僕の考えるフェイクドキュメンタリーの作り方とかなり似ているんですよ。自分の気に入っているところを積み重ねるのって、かなりフェチ的じゃないですか。それでいて聴いていると、梯子を外される瞬間がやってくる。これがつまり、不安が生まれる瞬間です。

加藤:なるほど。しかも安全だし。

大森:そう。節税的。

加藤:好きなものを分析した結果、好きなものが変わっていくことに対する恐怖心が僕にはありますけど、まぁそんなものですよね。好きなものが変化していくのを知られることにも気持ち悪さがあるし。

大森:すごくよく分かります。僕らの場合は仕事もプライベートもほとんど溶け合っていますしね。一度乗った船からは、そう簡単には降りられない。だからいまの僕は、あまり自分の内面ばかりに目を向け過ぎないようにしています。それよりももっと外を向いていかなくちゃなと。どうにか30代の危機に立ち向かっていきたいですね。



*劇団公演『景色のよい観光地』
2026年1月17日~2月1日
https://takumitheater.jp/news/id_763/

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おおもり・ときお/1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。『イシナガキクエを探しています』『魔法少女山田』といったフェイクドキュメンタリーシリーズ『TXQ FICTION』などを担当。展覧会「行方不明展」「恐怖心展」も手がける。2023年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出。


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文:折田侑駿
ファシリテーター:千代田修平
写真:木村和平